清水俊史『ブッダという男—初期仏典を読みとく』

ブッダ(お釈迦様)という人物を現代の倫理感でとらえることの危うさを知ることができ、無我と縁起の解説本として分かりやすい。

我々が普段お釈迦様と呼んでいるシャカ族の王子ガウタマ・シッダールタ(以下ブッダ)は現在より2600年ほど前に実在した人物である。
仏教はブッダが開祖とされている宗教であるが、現在の我々日本人が知っている仏教はブッダの思想とはおおきくかけ離れている。2600年もの年月が経っているので変わっているのは当たり前であり、本書はブッダが本来思い描いていた思想・観念を初期仏典から読み解いたものである。

とはいえ、現代の我々が知っている仏教を間違ったものとして説いているわけではない。あくまでも紀元前6世紀のブッダという人間と、ブッダが一石を投じた当時のインド宗教・思想の周辺を紹介するものである。
だから、その後に変遷していった大乗仏教の観音信仰やら阿弥陀の浄土思想などは出てこない。

ブッダは平和主義者であったのか——著者は現在の倫理観での平和主義者ではないと断じる。ブッダは男女平等主義者であったのか——これも現在の倫理観と照らし合わせると違うと断じる。

ブッダは一国の王子であった。ということは武士階級の生まれである。ご存じの通り、インドはカースト制度という身分制度が古くから——ブッダの時代よりもまえから根付いている。
上からバラモン(司祭)、クシャトリア(王族・武士…ブッダはこの階級の生まれ)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(奴隷〈労働者〉)、あとはカースト外にいるシュヴァパーカと呼ばれる多くの人々である。

当時のインドはバラモン教に支配されている地域であった。バラモン教多神教の宗教であり、司祭階級がつかさどる儀式を重要とし、現世での幸・不幸は前世の業(ごう=カルマ)を引き継いだ結果と考える。よって身分階級や人生のすべてを過去世の善行・悪行から来ていると考える宗教思想である。
現世で悪事を働けば次に生まれ変われば、身分は下がり苦しい人生を送る。反対に善行を働けば次の世では、身分は上って幸せな人生が送ることができる輪廻を説く。

ここで間違えてはいけないのだが、ブッダは輪廻や業を否定していない。
ブッダの説いた先駆性は輪廻から抜けることができ、それこそが究極の目標と捉えたことである。
業の話をすれば、初期仏典では武士階級が戦争で敵兵をいくら殺しても悪因とはならないと記されている。それは武士が敵兵を倒すのは悪ではなく、職業的に善であるからだ。仏弟子アングリマーラという名の大量殺人者がいたと本著に書かれている。ただし、このアングリマーラは修行を完成させたので輪廻から抜けることができたとされている(アングリマーラは武士ではなく、犯罪としての殺人者なのだが)。

逆にマガダ国のアジャータサットゥ王はブッダに帰依をし、在家信者となったが、輪廻から離れることはない。とブッダは他の弟子に語る。これは王が父王を殺害して王座に就いたためであり、いくら仏弟子となって修行をしても五無間業(父殺し、母殺し、悟った人を殺す、僧団を分裂させた、ブッダの身体に傷をつける)を犯した者は悪の業を負うとされているからである。

ブッダの先駆性——悟りとは何か。

無我の発見と縁起の発見とされている。では、無我とはなんであろう。
「インド諸宗教において、輪廻の主体である恒常不変の自己原理を否定したのは、唯物論者と仏教だけであった。唯物論者が、物質からのみ個体存在が構成されると説き、業報輪廻の存在を認めず、結果としての道徳否定者であったのに対し、ブッダは、感受作用(受)や意思的作用(行)などの精神的要素も個体存在を構成していると説き、無我を説きながらも業報輪廻のなかに個体存在を位置づけることに成功した。これは他には見られない、ブッダの創見であると評価できる。」清水俊史『ブッダという男—初期仏典を読みとく』, ちくま新書, 2023.12, p. 173

例えばだが、ブッダは「人」という個体存在をして、「人」の自己原理を否定している。プラトンの「イデア論」的なものを否定している(ブッダプラトンより200年ほど昔の人)。ブッダの思想は「人」は骨や肉や血という部品が集まり「人」という呼称が生まれるとする現実的観念である。しかし、唯物論者のように形而上的なものは否定をせずに精神的要素も個体存在の構成要素としている。

次の縁起とは何か。
「…ブッダは、原因と結果の連鎖によって個体存在が過去から未来へと輪廻していること、そして輪廻が起こる根本原因が煩悩であることを突き止めた。そして、業が来世を生み出すには、煩悩という促進剤が必要であること——裏を返せば、すべての煩悩を断じれば、これまで積み上げてきた業もすべて不活性化することを看取した。この構造をまとめたものが縁起である。〈中略〉このように、輪廻の苦しみを終わらせるためには、無知(無明)をはじめとする煩悩を断じなければならないとの主張は、他宗教には見られない。つまり、縁起の逆観こそが、インド史上におけるブッダの創見であると評価できる。」清水俊史『ブッダという男—初期仏典を読みとく』, ちくま新書, 2023.12, p. 189

何度も言うが、ブッダは業(カルマ)や輪廻を否定していなかった。否定しないうえで、煩悩を消し去ることにより苦しみという結果の原因である輪廻から外れることができると説いたわけである。

以上、本著の簡単な解説をしたが、ブッダが生きた時代には仏教以外にもバラモン教から変革した宗教——沙門宗教が発生した時期でもある。仏教のほかジャイナ教(いまでもある)など6つの沙門宗教についての解説もあり、古代インドの宗教をうかがうきっかけにもなる。

ちくま新書 2024年 第2刷)