樋口一葉『大つごもり』

ネタバレあり!

樋口一葉という名前を知らない日本人はまずいないと思う。あと数ヶ月で変わってしまうが、現在の五千円札の肖像になっているし、中学だか高校の国語の授業でも一葉の名と『たけくらべ』が代表作であることくらいは習うであろう。ただし、それで一葉の文章を読んだ人はどのくらいいるのだろうか?
恥ずかしながら私は、生を受けて以来この方、一葉を一度も読んだことがなかった。

本棚の中には長らく2冊の一葉が収まっている。『にごりえたけくらべ』と『大つごもり・十三夜』の岩波文庫が…

今までなぜ読まずに積読されていたのであろうか。それは言文不一致の文語体で読みづらいと思っていたのだろうか。いつでも読めると思いながらそのままにしていたのであろうか。思い返してもはっきりしないのである。

なお、言文一致、不一致については「二葉亭四迷『浮雲』 - 著作堂文月の読書ブログ」を参照してほしい。

この三連休に少しでも積読本を減らそうと思い、薄い文庫本を手に取った。それが一葉の『大つごもり』であったのはただの偶然に過ぎない。
「大つごもり」とは「大晦日」のことであるから、1週前に読めばタイミングが良かったのだが、その時は読む動機がなかったので致し方ない。

それはともかく、大つごもりより1週過ぎて手に取った一葉の『大つごもり』であるが、まずはこの一文を読んでいただきたい。

「井戸端に出れば月かげ流しに残りて、肌を刺すやうな風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど、二つの手桶に溢るゝほど汲みて、十三は入れねばならず、大汗に成りて運びけるうち、輪宝のすがりし曲み歯の水ばき下駄、前鼻緒のゆるゆるに成りて、指を浮かさねば他愛の無きやう成し、その下駄にて重き物を持ちたれば足もと覚束なくて流し元の氷にすべり、あれと言ふ間もなく横にころべば井戸がはにて向ふ臑したゝかに打ちて、可愛や雪はづかしき膚は紫の生々しくなりぬ、」
なんと悲しくて、侘しくて、そして美しい文章なのだろう。

主人公のお峯は白金台町(現在の港区白金台)の貸し長屋百軒もっている富豪の家で女中をしている。父母早くに亡くして、小石川初音町(現在の文京区小石川1丁目・2丁目あたり)「世をうぐひすの貧乏町ぞかし、」で八百屋(と言っても棒を担いで歩き売りの)を営んでいる伯父夫妻に親代わりになってもらい育ててもらった。
「六畳一間に一間の戸棚只一つ、箪笥長持はもとより有るべき家ならねど、見し長火鉢のかげも無く、今戸焼の四角なるを同じ形の箱に入れて、これがそもそも此家の道具らしき物、聞けば米櫃も無きよし、」といった貧しい長屋に住んでいる伯父が病と聞いて見舞いに行く。
「堅焼きに似し薄布団」にて臥せっている伯父より話を聞けば、「高利かしより三月のしばりとて十円かりし、」、「九月の末よりなれば此月は何うでも約束の期限なれど、此中にて何となるべきぞ、」と苦労を聞かされる。
伯母は針仕事の内職をしているが、「日に拾銭の稼ぎも成らず、」で、甥っ子の三之助には、「貧乏なればこそ蜆(しじみ)を担がせて、此寒空に小さな足に草鞋をはかせる親心、察して下されとて伯母も涙なり、お峯は三之助を抱きしめて、さてもさても世間に無類の孝行、大がらとても八歳は八歳、天秤肩にして痛みはせぬか、足に草鞋くひは出来ぬかや、堪忍して下され、」と。
「をどりの一両二分(「をどり」とは利息。明治に入り一両=一円になったので、一両二分は一円五十銭)を此処に払へば又三月の延期にはなる、」、「大道餅買ふてなり三ケ日の雑煮に箸を持たずは出世前の三之助に親のある甲斐もなし、晦日までに金二両(二円)、言ひにくゝ共この才覚たのみ度よしを言ひ出しけるに、」と言われてしまい、お峯は伯父夫妻に2円の金の工面を約束してしまう。

カギ括弧内は原文からの引用であるが、ここまでが前半である。
先に書いたように文語体なので読みづらいと思うが、口に出して読むとリズムが取れるのでなんとなしに文章が分かってくる。ただし漢字は我々が一般的に使っている読みと違う部分があるので、ルビが振ってある原著を読んでいただきたい。

後半部分を簡単に書くと、奉公先の御新造(ごしんぞ=奥様)さんが管理をしている20円の束から2枚をくすねることになる。
「拝みまする神さま仏さま、私は悪人になりまする、成りたうは無けれど成らねば成りませぬ、罰をお当てなさらば私一人、遣ふても伯父や伯母は知らぬ事なればお免しなさりませ、勿躰なけれど此金ぬすませて下されと、」

この富豪の家は毎年大晦日にはすべての家の金を勘定して封をするという習慣がある。御新造さんがお峯に奥の間にある20円が入っている(はず)の硯箱を持ってこいと言う。
「御新造が無情そのまゝに言ふてのけ、術もなし法もなし正直は我身の守り、逃げもせず隠られもせず、慾かしらねど盗みましたと白状はしましよ、伯父様同腹で無きだけを何処までも陳て、聞かれずば甲斐なし其場で舌かみ切つて死んだなら、命にかへて嘘とは思しめすまじ、それほど度胸すわれど奥の間へ行く心は屠処の羊なり。」
窮地陥ったお峯であるが…

これ以上のネタバレはやめようと思う。実はこの小説にはもう一人重要なキャラクターがいる。そのキャラクターとお峯のとった行動がスリリングな展開を見せる、いわばイムリミットに手に汗握るサスペンス小説の体を取っている。

下のリンクから紙の本を買って読むもよし、一葉は著作権がとっくのとうに切れているので青空文庫などで読むもよし、YouTubeには朗読が上がっているのでそれを聞くもよし(その場合は必ずテキストを追いながら聞いてほしい)、原稿用紙換算30枚弱の短編なので今少しのお時間を『大つごもり』に捧げてもよろしいかと…

読んでいただけたらきっと、一葉の文章の美しさと構成力、そして情景描写と心理描写に驚くことになると思う。
また、これは明治27年に発表された小説であるが、我々が抱いている明治よりもずっと江戸時代的に思えるだろう。しかし、維新よりたった20数年なのだ。さすがにちょん髷を結った者はいないであろうが、江戸期と変わっているのは刀を差している侍がいないことと人力車が町を往来しているくらいだ。明治初期と現代は人情の面ではさほど変わらない。れっきとした現代小説である。

この『大つごもり』より、樋口一葉のいわゆる「奇跡の14ヶ月」がはじまる。

岩波文庫 1989年 第13刷)