東浩紀『訂正する力』

実践する哲学者である東浩紀さんの最新思想である『訂正可能性の哲学』を一般読者にわかりやすくするために、具体的な実例を多く含みながら「訂正する力」という思想を解説していく。

この書は「訂正可能性」を応用した一種の政治論となっている。

この書の「はじめに」にて東さんは哲学とは「時事」と「理論」と「実存」の3つを兼ねそろえて、はじめて魅力的になると述べている。
第1章は「時事編」、第2章は「理論編」、第3章は「実存編」で、最後の第4章は「応用編」となっている。

第1章では日本人特有の「空気」をひも解き、「憲法改正問題」や「ジャニーズ問題」といった時事的な例を用いて「訂正する力」を披露する。

第2章ではバフチンクリプキウィトゲンシュタインといった哲学者・思想家を引用をしながら「訂正する力」の側面を掘り下げ、AIのシンギュラリティ(AIが人間の知能を超える特異点)を肯定しつつも、人間のとある特徴をつかみだしてAIによって人間社会が劇的に変わらないという一種の楽観論を繰り広げる。

第3章では具体論として「訂正する力」の作用を検証し、第4章では日本という国でこそ「訂正する力」が役立つと丸山真男本居宣長平田篤胤司馬遼太郎などを例に出して「訂正」と「幻想」から「自然を作為する」という方法を提唱する。

哲学や思想は一見小難しく見えるだろうが、東浩紀流のわかりやすさをもって誰でも現代日本の問題点を知ることができ、その解決にはどのようにしたらよいのかを考える中立的な思考方法を提示してくれている。

一読したに過ぎないので、ある部分には楽観論的過ぎる面(シンギュラリティではない)と厳しすぎる面を感じたのは事実として明記するが、東さんは大切なのは「考えること」とを主張(昔から「考えること」を一貫して主張している)し、いまの世界には考える人があまりにも少ないと警鐘を鳴らしている。これはとても大切なことだ。

近く『訂正可能性の哲学』を購入して、「訂正する力」の詳しくを読み解いてみたい。

上に楽観論過ぎる面があると書いたが、「訂正する力」そして「自然を作為する」は大変に説得力があり、私自身は日本の現状を打破するには「加速主義」(本書にて解説あり)と「堕落」(坂口安吾的な)だろうと思っていたが、それに代わる可能性を感じたのも事実である。

今の日本になにかしらの危機感をもっている方にはぜひ読んでもらいたい本である。

朝日新書 2023年 第1刷)

 

二葉亭四迷『浮雲』

ネタバレあり!

誰もが題名だけは知っていて、読んだことがない本ランキングがあれば確実に上位に来るだろう二葉亭四迷の『浮雲

まずはじめに言っておくが、これまで読まなかったのを後悔するほど面白かった!

きっと高校生のときに習ったと思う。日本で最初の「言文一致」小説だと。「言文一致」がなにかわからなかったら森鴎外舞姫』を読んでもらいたい。あれは「言文不一致」で、きっと読みづらいと思う。

そもそも日本は明治30年くらいまで話し言葉と書き言葉が違っていた。それを改めようと話し言葉で書いた小説第1号がこの『浮雲』。明治20-22年発表の青春リアリズム小説。

坪内逍遥当世書生気質』(明治18ー19年)
二葉亭四迷浮雲』(明治20-22年)・・・言文一致
尾崎紅葉『二人比丘尼色懺悔』(明治22年
森鴎外舞姫』(明治23年
幸田露伴五重塔』(明治25年

上記は今でも容易に書籍にて手に入る明治20年代の小説だが、言文一致は『浮雲』のみ。30年代に入ってもほとんどが不一致だったことを考えれば画期的であるが…

やっぱり最初は読みづらく感じた。
その訳を考えてみると、当時の当て字のような漢字の使い方や講談調の語りがネックになっていると思われる。

この講談調というのが長谷川二葉亭(ああ、この通称を使ってみたかった)のポイント。

当時は国会が開かれる機運が高まり、速記を職としようと模索した人が多かったらしい。
しかしながらなかなか国会が開かれない。速記者は金が入ってこない。そこで寄席に行き、講談や落語の速記をし、本にして売った。講談師や噺家は連名で出版されるから自分のもとにも金が入ってくるし、寄席にも人が増えて喜ばれる始末。そんな講談本を多く出版していたのが、大日本報弁会講談社…これがいまの講談社。といってもこの会社ができるのは『浮雲』より20年後。

まあ、それは良い。今より136年前の文章だから仕方ないのだ。
歌舞伎や文楽能楽を観たことがある方ならわかると思うが、1時間も観てれば言葉に慣れてしまい、何を言っているのかわかるようになる。
よって『浮雲』も1時間耐え忍べばスラスラと読めてくる。

さて、この『浮雲』は役人をたったさっきクビになった(官吏の免職は当時はよくあったこと)内海文三という青年が主人公。ほかの登場人物は文三と同僚であった本田昇。彼は文三と違いゴマすりが得意な男。文三の下宿先の娘のお勢(いとこにあたる)とお勢の母であり叔母のお政。
(なお、文三の亡父の弟である叔父は横浜にて喫茶店をしており単身赴任中。小説には出てこない)

この登場人物をみるとなんとなくストーリーがわかると思う。きっとあなたが思っているストーリーであっている。

この当時の小説(戯作も同じく)の人物名はキャラクターの性格から名をつける風習があった。内海文三は内向きな性格。本田昇は上昇志向な性格。お勢は文明開化の世に生まれた新しき自我を持ち勢いある女性。お政は北条政子のような性格(ステレオタイプのね)。

さて、この小説、男女の三角関係となるのだが、三角関係と思っているのは4人中3人。文三と昇とお政であり、ヒロイン役のお勢はというと…実はそう思っていない。

結果的には小説の中でお勢は文三とも昇とも結婚はしない。しかし、文三は許嫁だと思っており、昇は自分のもとにくると踏んでおり、お政は免職した文三から昇のもとに嫁に出したいと思っているが、お勢は文三と昇をおもちゃ程度にしか思っていなく、天秤にすらかけずに小説は終わる。

それがこの小説の新しさだった。封建時代の慎ましい女性像から打って変わり、自我を持つ女性像。しかし、そのお勢もかなり困ったねえちゃんで、習い事もやりたいと言えばすぐに飽きる。まじめな(その頑固なまじめさにゆえクビになる)文三に顔を赤らめ、社交的で口八丁な昇にも顔を赤らめ、母お政とは喧嘩したと思ったら翌日には仲直り。

最後に…この小説でもっとも面白い場面は第1編・第5回「胸算違いから見一無法は難題」だろう。
免職となった文三に文句をぶちまけるお政の言いよう。もの凄い語彙数をつかって文三をけなしにけなしまくる。文三は散々文句を言われた後に自室でポタポタと涙をこぼすのだが、読んでいたらこっちも涙がポタポタと落ちそうになってしまうほどお政の言いようがすごかった。

これはぜひ読んでほしい!
現行の岩波文庫は校注がついてわかりやすくなっているのでおススメです!(私が20数年前に買って積読していたものは校注なしでしたので読めない漢字とかはGoogleレンズを使って調べました)

なお、『浮雲』というタイトルのもとは、序文代りの「浮雲はしがき」に書いてあります。「アラ無情始末にゆかぬ浮雲めが艶しき月の面影を思いがけなく閉じ込めて黒白も分からぬ烏夜玉のやみらみっちゃな小説ができしぞやとわれながら肝をつぶしてこの書の巻端に序するのものは」

岩波文庫 1997年 第67刷)

 

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