永井荷風『来訪者』

ネタバレあり!

私より若い読者は永井荷風を読むのだろうか? そもそも私の世代でも怪しいのだが、どうなのであろう…
そんな私は荷風が好きである。
雑司ヶ谷へ墓参りにいくほど荷風が好きである。
…どんなところが好きなの? 艶っぽいところが…

艶っぽいといっても泉鏡花谷崎潤一郎とはまた違う。情緒というかなんというか…「色」とでもしておこうか。その「色」を使うセンスが飛び抜けている。
なにも男女の交わりの行為そのものを描くわけではない。思わせぶりなだけなのだが、そこに見える「色」が艶っぽいのである。

久しく荷風を読んでいなかったが、この『花火・来訪者』は読んでいなかったので買ってみました。
さて、この文庫本に入っている11篇のことをつらつらと書くとえらく長文になるので『来訪者』(昭和19年 - 発表は昭和21年)に絞りたい。

改めて思ったのは、荷風の小説は東京(江戸)の街の地理がわからないとつまらないだろうということ。
この『来訪者』は市川真間など千葉が半分舞台となっているが、やはり東京の街を知らないと小説の奥深さがわからないと思うのである。

荷風の作品の特徴の1つは街の名前・立地・風土・歴史・特色が物語に色彩を与えていることである。
荷風の代表作と言えば『濹東奇譚』だろうが、舞台は川向う(江戸東京の川向うと言えば隅田川の東である。濹=墨=隅)の向島玉ノ井。『来訪者』の重要な舞台は鉄砲洲。荷風が生まれ育った小石川。空襲で家が焼けるまで荷風が長く住んだ麻布市兵衛町(現在の六本木一丁目)4つの土地はいずれも性格が違う。また、荷風の作品に多く登場する浅草。浅草と向島は同じ下町と思われるかもしれないが、やはり違う。浅草でも浅草寺界隈と吉原ではまた違う。
なにが違うのかというと、その街の持つストーリーが違うのだ。

荷風は街のストーリをうまく使い分ける。

いかん、いかん。このままでは東京の街の紹介で終わってしまう!

さてこの『来訪者』だが、荷風には珍しく推理小説仕立てになっている。
それなのにネタバレあり! とはけしからんと思う人がいるかもしれないが、結局は推理小説になっていないところが面白い。

この小説は大きく分けて5つのパートからなっている。
Aパート:老齢の作家と家に出入りする木場、白井という2人の青年文士とのやりとり。
Bパート:知り合いの古本収集家から若き頃に書いた直筆本『怪夢録』に裏書をしてほしいと頼まれるも、贋作だと告げる(『怪夢録』のあらすじがまた面白い)。この直筆本は以前白井に貸したことがあり、白井はその帰りに木場の家に泊まっている。犯人は2人のうちいずれか… 贋作をつかまされた収集家は興信所に二人の身辺調査を依頼し、その報告書は老作家のもとにも届き、それを読みながら想像を膨らませる。
Cパート:老作家が報告書から想像を膨らませた小説内小説的妄想。主に白井視点の三人称。
Dパート:老作家は疎遠になっていた木場と白井を探しに街を歩く。白井が奇妙な生活をしている鉄砲洲の於岩稲荷(四谷怪談のお岩)あたりの探索。
Eパート:木場より白井の成れの果てを聞く。

起承転結でいったら起はA、承はB、転はD、結はEになっている。CパートはCパートで1つの短編小説となっており、その中に起承転結を持つ。また、Aパートだけでも別の小説とも読めるし、Bパートの中には『怪夢録』のあらすじと推理小説性を帯びるところに別のストーリーを見つけられる。

つまりは、虚構の中に虚構があり、また別の虚構がさらなる虚構を産んでいく、実験小説となっている。

これ以上書くのは野暮になるからやめにするが、白井が不倫をする女のどこかやくざな艶っぽさは、「ああ、荷風を読んだな…」と満足に足りる味わいがある。

現代の小説には見られなくなった艶っぽさを感じさせ、また老境になっても新しさを求めた文豪永井荷風の怖ろしさを感じる一作である。

岩波文庫 2021年 第2刷)